過去最低記録更新@佐賀

四大陸フルマラソン完走までの道第三戦は、
27キロ地点関門回収で幕を閉じた。
一昨年愛媛での37キロを大幅に下回る、
過去最低記録の更新だ。


同行ののび太君も、同じ地点で勇気あるリタイヤ。
明光愛媛マラソン部はアウェイでの弱さを露呈した。


今回の歴史的大敗北を振り返っておこう。



手の甲に書いた関門タイム。


せっかく九州まで来るというのに、練習しなかった。
2月の愛媛で惨敗してから、たった一度しか走ってない。
そのときも10キロ程度で、左脚さんが痛くなった。
ほかには、毎日のスクワットとストレッチ、
週4〜5回の水中ウォーク&水泳をやってた。


こんなことで、2月に完走できなかったランナーが、
4月に完走できるなんてことは、決してないのだ。



ここから、携帯の充電をしそこねて写真がないので、
再現画像でお伝えしています。


スタート前、Fブロック。
爆弾低気圧吹き戻しの風が強く、寒い。
周りは長袖やアームカバーをしているランナーが多い。
私は半袖でぶるぶる震えて50分間、計算外(><)



寒くてトイレに行きたくなる。
スタートして2km地点のトイレ。
ここで10分間ほどのロス。



スタートして7km。
早くも左脚さん、泣き始める。
早すぎるやろ、なんぼなんでも。



23kmぐらいの地点、吉野ヶ里遺跡
想像していたよりもずっと広大な土地だ。
古代の先祖様たちの暮らしに思いをはせる。
また来たいぞ、吉野ヶ里遺跡、普通のコンディションで。



吉野ヶ里遺跡公園内の給水・給食場は、大盛り上がり。
私が今までに参加したすべての大会と比較して、
ゴールではなくまだ中間地点における給水・給食場としては、
過去最高の盛り上がりであった。


応援の音楽が流れていて、大会スタッフがたくさんいる。
アナウンサーが応援メッセージをずーっと放送し続けている。
「おつかれさまでーす!」
「がんばってください!」
「さあ、あと半分です!」
などなど。


私のような最下位層ランナー到着時でも、
神崎そうめんとぜんざいもちゃんと残っていた。
そうめんもぜんざいも、小さい紙コップに一口分、
おはしなしでゴックンいけるようにしてくれていた。
そうめんを5つ、ぜんざいは3ついただきました。
ごちそうさまでした。


のび太君も、
「あそこは達成感があった。ここで終わりでいいや、という気持ちになった。」
と振り返るほど、まるでゴール地点のような過剰な盛り上がり、おもてなしだった。


のび太君も、のび太君より10分ほど遅れてここを通過した私も、
覚悟を決めて、気力を振り絞り、楽しい吉野ヶ里遺跡を出た。



待っていたのは強い向かい風だった。
あの風、風速何メートルだったんだろう?
昨年の坊ちゃんランランランのときよりは強い風が、
真正面から吹き続け、汗は引き寒さで鳥肌が立った。


結局、その次の関門にて、二人ともレース終了。
のび太君は制限時間に間に合ったが自らやめた。
私は制限時間20秒オーバーぐらいで止められた。
もしも20秒早く着いていても、やめていたと思う。



終わってから、応援部隊のバーソロミュー・クマ君(山西クルー)、
午前中に就職試験を終えたまるちゃんさん(鴨川クルー)と合流。
佐賀市内をちょこっと観光したのでした。
アームストロング砲に男子軍テンションアップ!


四大陸フルマラソン完走までの道は、これで1勝2敗と黒星先行。
○ 2012年10月 本州大陸 大阪マラソン
● 2013年 2月 四国大陸 愛媛マラソン
● 2013年 4月 九州大陸 さが桜マラソン


四大陸フルマラソン完走までの道、果てしなし(><)
「まあ1年から1年半以内に終えるだろう。」
と思って始めたこの企画だったのだが。