鈴鹿戦記

四大陸フルマラソン完走までの調整レース、
鈴鹿シティマラソンに出るべく、
15年ぶりに鈴鹿入りした。



よく見りゃ『第16回』と書かれてある。
じゃあ、私が住んでいたまさにその年に、
第1回が開催されたことになるのだが、
当時マラソンに全く興味がない私には、
全く記憶に残っていない。



当時たいへんお世話になった社員寮。
街並み、ほとんど変わっていたが、
この寮は昔のまんまだ。


まさか15年後にマラソンをしに戻ってくるとは、
トップアスリートとして凱旋しようとは、
想像しようがない展開だった。
人生、不思議なもんだ。



会場に早く入って、サーキット場でストレッチ。
Wikiには、『世界の多くのサーキットと比べ摩擦係数の高いアスファルト舗装』と書かれてあるが、
私が表面を間近で見て、手でなでてみても、確かに普通のアスファルトっぽかった。


この日は鈴鹿だけでなく、全国的に冷え込んだそうだが、
とにかく風が冷たく、上着を着て走ることに変更した。



上着を着たら、風がふいたときはちょうどいい。
でも、無風状態のときは、やっぱり暑い。


ゼッケンが見えなくなるので、係員さんの前では気を遣う。
ジッパーを外してゼッケンをちらっと見えるようにして、
「ちゃんと、選手ですよ。」とアピール。


会場は、さすが国際レーシングコース。
大勢の観客を想定して設定されており、
数千人のランナーが来る程度では、
仮設トイレを増設しなければならないような、
他の大会会場で見られるような混雑はない。


コースは、メインストレート以外、ほとんどアップダウンだったような。
Wikiには「最大高低差58m」とある。
1周5.8kmで高低差58mあれば、まあまあのもんじゃないか。


10kmの部は、スタート直後はコース逆走、いきなりの上り坂。
みんな速い、テンションが上がっているのだろう。
いっしょに来たジャイアン君とバーソロミュークマ君も速く、
すぐに見失ってしまった。


途中から普通のコース通り1周。
結構前方からスタートしてしまったので、
道中多くのランナーに抜かれ続けた。
やっぱりあれは、メンタル的にも自分の走力にあった位置からスタートするのがよい。


後半の長い上りでは、一瞬「歩こうか…。」とも思いがよぎった。
実際に歩き出すランナーも少なからずいた。


それでも最後まで止まらずに走り続けて、
スト2kmぐらいは多くのランナーを抜くことができた。


1時間6分を目標にしたが、どうにかクリアできてよかった。
体重は2kg以上増え、前の晩に生中を7杯飲んでも、
クリアできてよかった。


制限時間1時間、というのも、何も関係なく完走証をいただけた。


「生中はいくら飲んでも、午後9時までに飲むのをやめたら、10kmまでなら大丈夫」


ということを学んだのだ。



完走後に食べた松坂牛串焼き。
美味しゅうございました。


※   ※   ※


2013年の全レース、その激闘が終わった。
● 2月 フル  愛媛マラソン
● 4月 フル  さが桜マラソン
〇 5月 ハーフ 小豆島オリーブマラソン
〇10月 フル  筑後川ラソン
〇12月 ハーフ 坊ちゃんランランラン
〇12月 10k 鈴鹿シティマラソン


愛媛、佐賀、小豆島、筑後川は、ボロボロ。
坊ちゃんと鈴鹿だけは、まあまあ普通に走れた。
四大陸フルマラソン完走は、来年、
四国、北海道と無傷で決めたい。